メガリューブログ~メガりゅうの日常~

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メガりゅう自分史【小5~中1】

目次でしょうに

 

 

〇自分史を書こうと思ったきっかけ

自分でいうのも恥ずかしいが、私は頑張り屋だった。自然と頑張り屋になっていた。毎日が試行錯誤の日々で、最近だと「どうやったら学力が上がるか」「どうやったら人付き合いがうまくなれるか」「どうやったら収入が増えるか」常に試行し、失敗し、改良し進歩している。

そのおかげで、私の人生は少しずつ楽しくなってきた。そして今では、友達が多く人気者の地位にまで上り詰め、すごく楽しい人生になっている。

昔を思い返すと、苦労するときのほうが多かった。今はイケメン陽キャラだが、陰キャラの時代もあった。陰キャラがどうやってイケメン陽キャラになったか、気になりますよね?ちょっと見てみましょう!

 

〇小5~6【人生の黄金時代】~大人しい性格だった~

小学校を通じて静かな性格だった。人に話しかけるのは苦手で「こういうことを言ったら相手が怒るんじゃないか」と心配で人と話すときはオドオドしていた。しかし、それが人気につながった。クラスの中心的存在ではなかったが、クラスメイトはみな優しく、楽しく学校生活を送ることができた。大人しく今でいう「コミュ障」の部類に入っていただろうが、放課後はみんなが遊びに誘ってくれて友達の家でポケモンゲームをやったり、公園でサッカーや鬼ごっこをしたりした。人と話すのが苦手だったので自分の意思を伝えるのはほぼできず困惑するときが多かったが、皆に合わせ皆も私に気遣ってくれた。

私は今でも「ジェンダーレス男子」だが、小学校のころは男の子か女の子か、見た目の区別がつかなかったという。よくカワイイと言われていた。自分が男の子だという感覚はほとんどなく(男の子というと「強そう」なイメージだったが、大人しい自分はそれにマッチしなかったため。そして「確認」と標榜しよく友達から性器をさわられた)自分ではできるだけ可愛く振舞いたいと考える小学生だった。※ちなみに、遺伝で腹筋は割れており性器は大きいほうだった。顔はかなりの童顔なのに身体はめっちゃ男だった。

まとめると、小学校高学年の私は、①クラスメイトが優しい②自己主張が少ない③かわいい、という条件のおかげで日々平凡に楽しく生活できたのだと思う。

 

さて、小6の中盤になると、卒業の準備がやってくる。6年間同じ場所で生活し、来年からは別のステージへ行くということは、皆が不安だった。私立受験をするもの、不登校になるもの、色々いた。私は「小中学校は義務教育だからだれでも学校へ通える」という考えが強く公立中学への進学を決意した(今思うと、中学受験すればよかったと強く後悔している)。中学とはどのような場所なのだろう。200年以上「パックス=トクガワーナ」(安定した徳川政権の下での平和な期間。江戸時代)に終わりを迎えようとする幕末の人間も、同じことを考えただろうか。

 

〇中学一年生【環境が変わった】~大人への第一歩~

小学校を卒業すると、地元の公立中学に入学した。私の地元では、公立中学が3つくらいあり、抽選に受かれば好きな中学校に入学することができた。私は見事当選し第一志望の公立中学校に入学できた(これが唯一「第一志望」に合格できた瞬間になるとは)。私は小学校が大好きで卒業するのは寂しかったが、中学にも期待を膨らませていた。

中学生は小学生よりも「大人」だ。私の生活も少し「大人」になった。

・小説に興味を持ちだした。『キノの旅』という本が大好きだった。

Note

キノの旅』第一巻!

うわっ!懐かしい!!「小説読んでる自分、かっけぇ!」って思いながら読んでいた。「ヤングアダルト」という部類に入る小説(中学生くらいが読むもの)であり、「自分って、大人。」と思っていた。で内容も面白くて没頭したな。

 

・深夜アニメを見た

 深夜アニメをYouTubeで見るのに没頭していた。今だと、大したことないじゃん!と思うかもしれないが、当時は今ほどインターネットやYouTubeが発達しておらず、「YouTubeを開きアニメを再生する」というのはかなり最先端な技術なのだ(大人も驚いたものだ)。

私が見ていたアニメは「乙女はお姉さまに恋してる」というアニメだ。

Note

乙女はお姉さまに恋してる

ああああああ!!なつかしいよおお!!今ほどインターネットが発達していない当時、中学一年生がこのようなアニメを見ていたのだから周りからは変な人だと思われただろう。※この作品以外は、深夜アニメは見ていない。

 

・子どもの作り方を知った

恥ずかしい話だが、あえて書く。私は小学校のころまでは、婚姻届けを役所に提出すると子どもがもらえるものだと考えていた。しかし、部活の先輩から衝撃の作り方を教わってしまったのだ!!正直言ってびっくりした。そんな使い方があるのかー。と思った。他のクラスメイトもだんだんと知り始めて、実際にやってみようよ、という話になった。保健体育の教科書を皆で読み、そうか、まずは精子を出せばいいのか、と考えた。しかし他の友達の性器はまだ小さい。そこでみんなが私の性器を使って…(中略させてほしい。)先輩から方法を教わり、皆が私の性器…(ごめん、恥ずかしい)。しかしそう簡単に精子は出ないもの。友達が何人も私のにこすったり何なりするが出ない。結局、まだ出ないんだねー、みたいになったのだ。※結局初のマスターベーションは高1の夏、初Hが高1の秋まで待たなくてはならない

 

勉強面はどうだったか。学校の授業以外では全く勉強しなかった。中学一年生の時の成績は「オール3」だ。今の中学生は違うが、当時、成績の1や2は、よほどの問題児でない限り付かないものだった。当時の私はそれを知らず「勉強してないのに『真ん中』の成績をとれるなんて、十分じゃないか」とのんきにも考えていた。

※のち、中学2年の3学期に挽回を始める。

 

友達付き合いはどうだったか。かなり良好だった。

趣味は、自転車と図書館めぐり。自転車は一人で自然公園などへサイクリングに行くのも楽しかったし、友達と少し遠くへ出かけることもした。「この大きな道をずっと自転車で走ったらどこへ行けるのだろう。」「標識には『新宿』と書いてある。新宿ってどんな場所なんだろう?」友達とそれを考え、少し走ってみた。結局杉並区あたりで挫折したが、自分の活動領域がぐっと広がり、「世界」が広がった。

 

どんどんと新しいものを取り入れよう、自分史に「明治維新」がやってきた瞬間だった。